2016/1/16 ブラタモリ「熱海」
2016/1/16 ブラタモリ「熱海」
場所:海岸
○海岸の砂は?
→千葉から運んだ。
自然に砂がたまると、鉄分の多い砂ができる。
千葉の砂は、白っぽい砂。よく似合う。
○温泉が湧く理由
→熱海の温泉は、塩分、カルシウムがある。
(塩分化温泉)→熱の海
食堂の窓から、海食岸・海食洞が見える。
海食岸・海食洞は、溶岩でできている。(水冷破砕溶岩)
昔、30万年前に、多賀火山帯があった。
海の方に広がった火山(海底火山)が、海を温めて温泉を作り出した。
○いつから有名に
→江戸時代。徳川家康が幕府を開いた翌年、7日間湯治で熱海を訪れた。
豆州熱海地図。
糸川。扇状地。
谷の出口に土がたまる。
山を流れる川が山を削り、土を運ぶ。→こういう地形になった。
江戸時代は、27軒の温泉宿があった。「湯戸(ゆど)」と呼ばれていた。
「ゆます」→溜めていた間欠泉の湯を木管で引き、高低差を利用して各温泉に湯を運んだ。
「本湯(もとゆ)」→源泉があった場所。後に「大湯」と呼ばれた。
源泉は、元間欠泉。大正末期に枯れてしまう。
今は、機械でくみ上げ、間欠泉を作り出している。
○古屋旅館。江戸時代から続く唯一の温泉宿。
「お汲み取り」という絵が残っている。
お湯を汲んで樽につめて、江戸城まで運ばせていた。
徳川家綱、徳川吉宗(3643樽)が熱海の温泉を気に入り、江戸城まで運ばせた。
「版木」内容:沢庵宗○入湯した。
○高台
明治以降の熱海は、別荘地が多くなった。
→明治21年に御用邸ができたことがきっかけとなり、政財界人が別荘を次々と建てた。
○旧日向別邸
斜面の高低差が熱海の魅力になり、別荘が作られた。
明治初期から、政財界人以外に一般人も熱海に来られるようになった。
きっかけは、丹那トンネル開通・東海道本線の開通などがあったから。
すると、観光客が増えて困ったことが。
→水不足になった。
(普通は、山の方にダムを作り、水をそこからひく)
熱海は、丹那トンネルを作った時に出た水を水源として利用し、解消した。
現在も、水源として利用している。
トンネルの壁に、数字がある。
2578…(西暦ではなく、皇紀)
2594…
このことから、作るのに16年かかったとわかる。
(トンネルを掘ると、水が出る)水の戦いもあり、難工事だった。
○水源と熱海を繋いでいるところへ
トンネルを掘った時に出た水源から出る水を地下に溜めておく。
右手の町へ勾配を利用して運んでいる。
トンネルを掘った高さが高低差を生み出した。